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考え方一つで人生は変わった!ピンチはチャンス☆膠原病克服したママの日常ブログです(╹◡╹)

⑨膠原病の入院実体験のブログ!19歳の私が見た!実感した事とは!?

 膠原病の入院実体験のブログ!19歳の私が見た!実感した事とは!?

わたしの病室は大学病院の無菌病棟のフロアーにありました。

 

無菌病棟は

ガン患者、膠原病患者、あとは分からないけど

とにかく重たい病気の方ばかりいた記憶があります。

 

病室で出会った人たち

病室は6人部屋。

私の隣のベッドの女性は同じ膠原病で、体に痛みがあるようでした。

話せる状態ではなく、毎晩狼のようにヴーヴーと大きな声で唸るので凄く覚えています。

相当な体の痛みと戦っている様子で辛そうでした。

 

 

向かいのベッドのおばさん!!

はぁ〜ぁぁぁぁー

とデッカいため息を一日に何度もします。

あとチッ‼️っていう舌打ち、病院食の愚痴、

それを聞くのが苦痛でした(;´д`)

かと思えば、ぷっ!!

っとオナラするんです。

イラっとしながらも、笑ってしまいます。笑

 

 

TVはイヤホン必須だから 病室内は静かだし、

周りは明るい雰囲気も全くなく

BGMは唸り声とおばさんのため息~_~;

 

話し相手もいなくて声が徐々に出なくなってかすれていきました(T ^ T)

 

耐えられず、私は気付くと毎日自分のベッドのカーテンを閉め切って周りと関わらないようになっていました。

雰囲気わるいやつΣ(-᷅_-᷄๑)笑

 

 

ある時斜め向こうの窓側のベッドに

綺麗なお姉さんが入院してきました。

お姉さんは『股関節のリンパが腫れ、検査入院しているの』と言っていました。

私にとって、お姉さんは天使に見えました(*'▽'*)✨

 

ある日、男女7人物語のDVDシリーズとプレーヤーを貸してくれたので連日 朝まで観てました(*゚∀゚*)

 

あれはハマったなー(o^^o)

石井明美さんの歌も大好きです!!

余談でした。笑

 

 

とても親切なお姉さんは

すぐ退院しちゃったので寂しかったです。。(´;ω;`)

 

 

病室内で引きこもり

重たい雰囲気に気持ちが引っ張られないように

 

自分の機嫌を取り続ける事だけにひたすら集中しました。

 

 

 

カーテンを閉め切ったらこっちのもんです!!笑

 

ペットボトルに'ありがとう'とペンで書いてそれを飲み水にし

BGMはSMAPの《ありがとう》の曲をループして聴きまくり

読書は病気が治る本ポジティブになれる本ファッション雑誌テンション上がる系を読み

 

任天堂DSでひたすらスーパーマリオをクリアする事に集中したり

 

あげくには雑誌の最後らへんに載ってる懸賞に応募したりしていました。(゚∀゚)笑

 

病気から気をそらし、楽しむ事だけをしていました(*^_^*)

 

 

忘れられない出会い

入院生活も慣れた頃、2人の30代のお姉さんとお友達になりました✨

Aさんは肝臓ガン、既婚で子供が1人、シンガーさんです。

Bさん膵臓ガン、既婚で子供はいませんでした。

 

同じ病棟で、病室は皆んなバラバラでしたが気づけば色々と会話する仲に(o^^o)

 

私にとって、2人がいる事がとっても心強かったです!!!!(*^_^*)

 

 

入院が3カ月経った頃

私は治療の成果が見られず、ベッドの空きも足りないとの事で退院させられる事になりました。

『自宅治療で様子を見ましょう』と言われました。

 

 

退院が決まった時は死ぬほど嬉しかったです!!♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

 

やっと帰れる!!

お風呂に好きな時に入れる!!

親やペットと一緒にいられるー!!✨

とテンションがめちゃくちゃ上がりました!

仲良くなったAさん、Bさんには当日にお伝えしよう!と考えていました。

 

退院しても検査の度に2人のお見舞いに行けるしなぁ✨って。

 

退院前夜

退院前夜、入院生活が最後だと思うと興奮して眠れず夜中に飲み物を買いに自販機へ向かいました。

 

病室へ戻る廊下で

バッタリBさんに会いました。

 

 

Bさんはここ数週間でカリカリに痩せ、歩くのもちょっとキツそうで壁にもたれかかりながら足を少し引きずっていました。

 

 

きっと病状があまり良くないんだろうなぁって思っていたけど、自分から病状を聞くことは今までありませんでした。

 

Bさんが、

あぁ、こんばんわ

声をかけてくれて少しお話をしました。

 

そしてBさんが

『私ね、もう治らないみたいなんだ。。

先生がね、手術も難しいんだって。

余命もあと2カ月くらいだって宣告された、、』

と言って突然泣き出しました。

 

私は

『お医者さんが寿命なんて決めれる訳ないです!!!

Bさんなら絶対大丈夫です!!!!

わたしは、大丈夫って信じてます!!』

 

そう言いました。

 

 

心からそう思ったし、治ってほしい、奇跡が起こってほしい!

お医者さんに寿命なんて決められてたまるか!

って。

 

 

 

自分が明日退院するなんてとても言えませんでした。

 

 

病室に戻って、もう耐えられないくらい苦しくて悲しく悲しくて。

Bさんの気持ちを考えると叫びたいくらい辛くて

しばらく泣きました。

 

 

退院してからその後

退院後は、通院した時にAさんにもBさんにも会いに行きました。^_^

 

お見舞いもだし、2人が良くなるとずっと信じていました!

 

Bさんは何回目かのお見舞いに行ったら居なくて、Aさんに尋ねたら

私の実家の近くの緩和ケアに転院されたという事でした。

 

ある日Bさんからメールが来て、

『◯◯ちゃん(わたし)から借りてた本を返したいから取りに来てくれる?』

と言われました。

 

凄く胸騒ぎがしました。

 

 

転院されたと聞いてから、Bさんの状態を思うと中々会いにいけなくて。

 

 

でも会いに行って良かったです。

部屋には旦那さんとBさんがいました。

2人は優しく、そしてどこか寂しい表情をして

『本、ありがとうね』

と言ってくれました。

 

帰る時

Bさんはキツイのに、エレベーターまでお見送りしてくれました。

わたしに『ありがとう!またね!!』

って。

 

 

それがBさんと話した最後の日でした。

 

 

 

 

 

 

私に優しくしてくれた事、不安を打ち明けてくれた事、退院おめでとうって笑顔で言ってくれた事。

Bさんの笑顔

Bさんが最後まで生きた事

一生忘れません!!!!!

 

 

 

Bさんの分まで。

わたしも頑張ります!

 

 

 

 

 

 

Aさんはいつも、ニコニコで笑顔が素敵で私は大好きです!

退院後も、会ってお茶をしたり、お互いの近況報告をしたりしていました(o^^o)

Aさんは肝臓癌でしたが再発もなく、克服されました!

 

そして現在、全く別の方からのご縁でAさんと一緒にお仕事する事もあります‼️٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

 

私はダンサー、Aさんはシンガーとしてです❣️

 

入院中から考えると予想もできなかったです‼️

 

 

 

ここまで読んで下さって有難うございました✨

🍭reichanmama🍭